藤枝駅から徒歩約5分。
全国からスニーカーフリークが訪れるショップ「MAGFORLIA」(マグフォリア)。
店内には世界中から集められた古今東西のスニーカーが所狭しと並んでいる。
オーナーの山田隆也さんはヴィンテージスニーカーについて詳しく、特にPUMAのスニーカーに関しては世界屈指の知識をもつマニアとして知られている。
また、山田さんはPUMAと協力し、スニーカーのディレクションを手がけてきた。山田さんが手がけたモデルはヴィンテージスニーカーのテイストやディティールを再現し、こだわりの強いヴィンテージスニーカーファンからも高い評価を得てきた。
引用したInstagramの投稿は山田さんが「Suede Classic MIJ × Collectors※」をディレクションした際に、PUMA Sportstyle(PUMA公式アカウント)から全世界へ発信されたもの。
※Suede Classic MIJ × Collectors ― 2017年発売、日本製。「MIJ」とはMade In Japanのこと。日本人のスニーカーマニアに敬意を評し製作された。「Suede」はPUMAを代表するスニーカーモデル。
さらに、山田さんの写真がドイツのPUMA本社に展示されていたこともあるというから驚きだ。PUMAに認められ現在もトップランナーとしてスニーカーシーンを先導する山田さんはどのような経緯でMAGFORLIAをオープンし、世界的PUMAマニアとして知られるようになったのだろうか。
コレクターではなくマニア
山田隆也
1978年出まれ。静岡県藤枝市出身。小2からサッカーを始め、スパイクに興味をもつ。中3の時に雑誌で見たadidasのヴィンテージスニーカーに衝撃を受ける。高2でスニーカーショップを開くことを決意。千葉の大学を卒業後、千葉、東京、2社のスニーカーショップで働く。退職後の2008年、地元藤枝に古着とスニーカーを取り扱う「MAGFORLIA」をオープン。
―山田さんがヴィンテージスニーカーのコレクターで1000足以上を所有していたこともあるという雑誌の記事を読ませてもらいました。1000足ってすげー!というのが率直な感想です。
全然すごくないです。全然すごくない。今はそんなに持ってないです。ずっと靴屋で働いてるとそのぐらいになっちゃうんですよ。
―いや、すごいと思いますけど。
個人的には数は重要だと思ってないので、「何足持ってるんですか?」的なコレクター目線の取材は基本的に断ってるんですよ。僕はどちらかというとコレクターじゃなくてマニア気質なんです。たくさん持ってるから偉いわけじゃないですし。持っている靴は履くし、たくさん持つことに価値を感じないので。例えば、1000足スニーカーを持っていても、「こ1足について語ってみろ」って言われたら全然語れない人がいるわけですよ。逆に5足しか持ってなくてもスニーカーが好きで好きで何時間も語れる人がいたら、そっちの人と友達になりたいです。
―山田さんは子どもの頃サッカーをやっていて、最初はスポーツショップを開くことが夢だったらしいですね。
サッカーをやっていたのは小2からですね。サッカーのスパイクが大好きだったんで、初めはそれが高じてスポーツショップやるぐらいしか自分の中に選択肢がなかったんですよ。
―その当時からPUMAが好きだったんですか?
いや、まったく。当時はasicsのスパイクが好きだったんで。
店内にはサッカースパイクも置かれている。
―高2の時にスポーツショップからスニーカーショップに夢が変わったのは何かきっかけがあったんですか?
ファッションを意識してスニーカーを履くようになったのって中学生からだったんですけど、高校に進むと将来のことを考えるようになるじゃないですか。その時期ってファッションもさらに多感になって、「雑誌に載っている靴を生で見たい」とか欲が出てきて。そうすると結局、スポーツショップっていうよりはファッションも好きだから、それだったらファッションスニーカーを扱うショップがいいよなぁって感じになってきて。
―ファッション雑誌を買い始めたのはいつ頃からでした?
中1くらいからですね。「Boon」とかを買ったり。同じ世代のやつらの中でも、うちらの中学はファッションに敏感な人が多かったです。自分たちの中学時代に地元からわざわざバスで東京行って服買ってるのは珍しかったと思います。雑誌を見て、ほしいと思った靴を静岡で揃えようと思っても、当時は靴屋さんも少なくて、すぐに見れる状況になかったので、東京に行くしかなかったんですが(笑)
―高校を卒業後、千葉の大学に進学してからは東京のショップに頻繁に行けるようになったと。
向こうに行ったら、しらみつぶしに高校の時に読んでいた雑誌に載っていた靴を扱っているお店に行って、見たことないものをいっぱい見ましたね。
ーヴィンテージスニーカーの知識はお店のスタッフさんと話して身につけていったんですか?
大学に行ってからはそうですね。高校の時はとにかく雑誌を読んだ程度の知識で。大学生になって東京とか千葉のショップに行くようになったら、店員さんから生き字引的な生の体験談とかを聞くようになって。それが肉付きになっていきましたね。
なんでバイトが展示会行っちゃダメなんですか?
マグフォリアではスニーカーの他に古着の取り扱いもしている。
―それで大学卒業後は千葉のスニーカーショップで働かれていたんですよね。
当時、靴やファッションが好きな人だったら絶対に知ってる有名な靴屋さんなんですけど。
―そこで、接客から買い付けまで経験して、お店経営のノウハウを身につけたんですか?
バイトで働き始めたんですけど、会社には「展示会※に行けるのは社員だけ」ってルールがずっとあったんですよ。なのにバイトで入って2日ぐらいで社長に直接「なんでバイトが展示会行っちゃダメなんですか?」ってクソ生意気なこと言って。
※展示会ーファッション業界において、売買を決める商談の場。メーカーは先シーズンの商品を展示し、バイヤーは商品を吟味して意見交換をし発注を決める。
周りのスタッフが「山田、お前入ったばっかりで何を言ってんだ?」って。店長にもめちゃくちゃ怒られてたんですけど「店長に言っても僕の思いは社長に伝わらないですよね」って言って。
―尖ってたんですね(笑)
そしたら数日後、社長から「おい山田、お前そんなに行きたいならNIKEとconverseどっちがいい?」みたいな感じで言われて。一緒に働いていたスタッフがNIKEが大好きだったんすよ。だから、「◯◯くんにNIKE行かせてあげてください。僕converseでいいんで」くらいの返事をして(笑)若気の至りですけど、その時は自分がこの世の中で1番靴知ってるくらいに思ってたんで。
―初めて行った展示会はどうでしたか?
いやーやっぱりすごく興奮しました。まだ一般の人たちが見ていない商品を僕らが半年も前に見れるわけだから、それはそれは興奮して。初めて展示会に行った時に使ったネームプレート、まだ残してあるんですよ。展示会に行くようになって、当時知り合ったメーカーの人たちとは未だに繋がってます。
自分の好きなものなら、トレンドと外れてても売れる
僕、アパレルやってる店長クラスの友達に「下のスタッフにも展示会行かせろ」って必ず言うんです。展示会に行かせて、「そのシーズンに自分が本当に良かったと思った一品を責任もって売らせろ」って言うんですよ。自分が良いと思ってないものを「はい、コレ売って」って言われても、その良さをお客さんに伝えられないと思うんですよ。だったら毎シーズン展示会行かせて、「僕これ好きです」って商品を責任もって売らせたら、絶対気持ちが入るんですよ。トレンドと外れてても売れると思います。それがうちのやり方なんですね。
―じゃあ、マグフォリアのセレクトは流行と関係なく山田さんが好きなもの?
そうそう。だから展示会に行っても、メーカーがどれを雑誌に載せてPRしていくかって全く聞かないです。逆に雑誌載っけるって言われると「それ発注しないから」って。メーカーの人たちも僕と20年ぐらいずっと付き合ってて、どういう人間かわかってるから、いちいちどれが今回の目玉か言ってこないんですよ。PRかかるかどうかじゃなくて、良いものがあればもちろん頼むし、良いのがなければ頼まないし。
―山田さんが展示会に来ると、メーカーの方も緊張感ハンパないと思いますよ。「うちが自信もってPRかけるあの商品、山田さん選ばなかったんだぁ…マジかぁ…」みたいな感じで(笑)
それは言われたりします。良いのがあればいくらでも数出すよっていつも言うんだけど、良いのがなければ0かもしれないし。(笑)
―最初に働いていたスニーカーショップはどうしてやめてしまったんですか?
僕がお店に入った2001年はスニーカーブームの余波があって、それなりに売上があったんですけど、業界全体がどんどんどんどん売れなくなっていって、スタッフも少なくなっていって、最後に残ったのが社長とバイトの僕だけだったんですよ。結局繰り上げ店長になって、そこから店を立て直すべく自分なりに休みの日もずっといろいろ対策を考えてて。でも、そのための経費を割いてもらえなくて、売上を上げられなくて。26才の時はストレスMAXで常にモヤモヤしてて、毎日メシ食べてもすぐに吐いてました(笑)
―そんな辛い時期があったんですね。
結局、辞表を出してお店も閉店になったんですけど、業界激震ですよ。「あのお店が潰れる!」って。お店をたたむ時にいろんなメーカーさんから連絡がありましたね。僕がやめたって情報はすぐ業界にまわって、「山田くんうち来ない?」って何社かメーカーとかお店から声かけてもらって。でも、せっかく靴屋辞めたから同業以外の流通形態とかも見てみたいなと思って探してたんですけど、結局、縁あってお誘いをもらい、別の靴屋で2年働いて。それから藤枝に戻ってお店を始めました。
―雇われて働いている間は「早く自分でお店をやりたい」って野心はあったんですか?
野心はもちろんありましたよ。はっきり言って他の働いている人たちと一緒にされたくなかったんで。当時はスニーカーブームだったので「社販で靴を買えるから」みたいな軽い気持ちで靴屋で働いている人がたくさんいました。僕は自分の靴屋をやりたいっていう子どもの頃からの目標を実現するために働いていたので、自信はめちゃくちゃありましたけど、でも、最初のお店をやめた1年は心がズタズタでした。あの頃は友達から「隆也、お前いつ店やんの?」って言われると、「プレッシャーかけんなよ。今すぐは店なんかやりたくないんだよ」って返事してました。そのくらい自分の中ではズタズタになって。
藤枝なら自分のためにお客さんがわざわざ来てくれる
―それを乗り越えて、2008年にMAGFORLIAを立ち上げたわけですね。地元の藤枝にお店を開いたのは何か理由があるんですか?
場所はもう絶対藤枝で。盛り上がってないところでやらないと。でも、どう考えても商圏的には静岡でやるのが正解じゃないですか(笑)
―静岡の街中だったら人通りがあるから藤枝よりは確実に集客が見込めますよね。
現実的にはそうですよね。でも、自分の店のためにわざわざ遠くから来て欲しいから、それがわかりやすい場所でやりたいなと。静岡だとどこかのお店に来たついでかも知れないし(笑)
お店を始めたら2年は何があっても持ちこたえろ
―MAGFORLIAというお店の名前の由来は?
Grateful Dead(グレイトフルデッド)※が好きで、「Sugar Magnolia」(シュガーマグノリア)って曲があるんですよ。で、「マグノリア」で検索すると既にいろいろお店があるのがわかったから、Grateful Deadの地元California(カリフォルニア)とくっつけて「マグフォリア」。でも、説明が面倒なんで「居心地のいい場所って意味だよ」って言ってます(笑)
※Grateful Dead ― 1965年、アメリカのカリフォルニア州で結成されたロックバンド。
ー立ち上げ当初からお店は順調だったんですか?
自信があって始めたお店だけど、最初の2年は底を見て。お店を始めた2008年って景気の底だったんで、底から始めれば上がるだけくらいのことを思って始めたけど、結果的にそれより底があったっていう(笑)
ーどん底だったと。思うように売り上げが伸びなかったんですか?
お店を始めても2年でやめる人がめちゃくちゃ多いじゃないですか。お店をやって2年くらいでちょうど「これ、どう計算しても生活していけないな。ここでやめたら楽だな」って思う人が多いんじゃないですかね。2年でやめるのが借金もリスクも少なくて、1番きれいな状態でやめれる気がします。自分もお店をやり始めて1年半くらい経って借り入れたお金もなくなっちゃったし、正直すごく苦しかったんだけど、自分の中に辞めるって選択肢がなかったんですよ。でも、2年を過ぎた時に変わったんですよ。売り上げが急に上がり始めました。なので、必ずしもではないんですが、僕に「今度お店を始めるんですけど…」って相談を持ちかけてくれる人には「2年は絶対にやめないほうがいいよ」って言ってます。2年持ちこたえたら、お客さんが自分のお店に求めてるものがわかってきたり、急に状況が一変するから、何が何でも持ちこたえろって言ってるんですよ。
雑誌掲載から知名度上昇、全国から来客
2010年発売「Sneaker Tokyo vol.3」。
山田さんはPUMAマニア・コレクターとして1番手に紹介されている。
―知名度が急に上がったきっかけはあったんですか?
僕でいうと雑誌ですね。完全に雑誌。2010年に「Sneaker Tokyo」に載って。次の年に「Lightning」に出て。それから雑誌がバンバンうちに興味をもってくれて。
―山田さんは今まで相当な数の取材を受けてますよね。スニーカー雑誌の監修も手がけたりもしてますし。
雑誌に載ったのを「山田は東京のコネクション使ってる」ってまわりから嫌味を言われたこともあったんだけど、実は自分から営業かけたことは2度もないんですよ。靴の取り扱いもそうなんです。基本的にどっちかっていうと「鳴くまで待とうタイプ」なんで。ん?「泣かせてみせよう」に近いのかな? とにかく、自分から営業をもちかけることがないんですよ。向こうが自分に惚れるまで待つっていう性分は昔から備わっていて。鳴かせてみせつつ、鳴くまで待つ、みたいな。
―家康タイプでもありと秀吉タイプでもあると(笑)雑誌に掲載されてから、具体的にどんな変化があったんですか?
基本的に最初からお客さんはヴィンテージ好きでマニアックな人が多かったんですけど、遠いところからもお客さんが来てくれるようになりました。エリアが爆発的に変わりましたね。県内中部地区エリアの人が来ていたのが、東海地区になり、全国になり、海外になり。
―今はマグフォリアでスニーカーを買うこと自体がブランドになっていますよね。みんな山田さんと話をして、山田さんからスニーカーを買いたいと思ってる。僕もそのひとりですけど。
どうなんですかね。自分ではわからないですけど、買っていただいている方にそう言ってもらえたらうれしいですね。僕と会うこと自体は大したことないんですけどPUMAに関して言えば、何かしらマニアックで深い情報・知識を得て靴を買ってもらうってことは、東京の有名なお店でも、他のお店にもできないことだとは思います。
「PUMAの人」と呼ばれることへの葛藤
―山田さんにしかできない接客というのは強い武器ですね。
東京なんかの大きなお店だからこそ「できること」と「できないこと」があって。逆に言えば小さいお店だからこそ「できること」と「できないこと」もあるんです。だったら小さいMAGFORLIAだからこそできることを目立ってやることが大切じゃないですか。スキマ産業なことをただニッチに藤枝でやっても目立たない。目立つようにやらないと、やってることも結局は伝わらないわけだから。
伝える手段として、今だったらSNSがあるけど、自分がお店を始めた頃1番わかりやすいのは雑誌の力でしたね。こういうお店が藤枝という田舎にあります、じゃあ、わざわざそこに足を運んでもらうためには何があったら行くのか、もし自分がお客さんだったら…そう考えた時に「自分をブランディングすること」と「商品を特化すること」というのが1番わかりやすいと思って。
―それがPUMAだったと。
最初、雑誌に出始めた頃っていうのはやっぱり自分がPUMAに凝り固まるのが嫌で嫌で。他のブランドのことも知ってるプライドがあったし、adidasもvansもこんなもんもってるぜっていうのを掲載してもらってたんですけど、ある時「山田さんってPUMAですよね」って言ってもらえる幸せに気づいて。それってイメージ戦略なんです。
そう言われることはもう情けないことだと思わないようにしようって。「PUMAに関しては必ず山田に聞け」ってお店にしちゃえばいいだけの話で。他のブランドのことも別に聞かれたら答えればいいだけじゃん、っていう切り替えの時期があって。それが自分でお店始めて5周年の時ですね。2013年に自分の中で1回吹っ切れて、これから先5年間お店を作っていくことを考えた時に1番やりたいことをやりながら商売をしていきたいと。
―そんな葛藤もあったんですね。
いや、めちゃくちゃありましたよ。プライドも傷ついたし、他のブランドのヴィンテージも好きなのに、なんで「PUMAの人」って言われなきゃいけないんだって。自分が東京とか千葉の靴屋で働いてキャリアを積んでるのに「田舎のお店は大したことない。東京のお店じゃないとダメ」って考え方をする人たちに悶々することもあったし。
―紆余曲折ありましたけど、お店は今年で12年目ですね。
お店って10年やれたからって安泰ってわけじゃないじゃないですか。常に進化しなくちゃいけないから、常に種まきというか、布石みたいなものは打ってはいるんです。まわりから「東京でも山田さんのお店の名前は聞くよ」って言われるようになってきたんですけど、「いや、うちは藤枝の田舎の店だから」って言って、東京をちょっとだけバカにしてみたり(笑)「うちのお店はローカルだけど、発信してることはグローバルです」みたいな。
―山田さんってこだわりが強いというか、エゴが強いですよね(笑)
僕めんどくさいんですよ(笑)
次回、中編
【中編】では、山田さんがディレクションを手がけた「JAPAN SUEDE MID magforlia」について詳しく話を聴きました。全スニーカーファン必読! こだわりにこだわり抜いたディレクション、制作秘話に迫ります。
MAGFORLIA(マグフォリア )
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